あのときの手が
てのひらが
―――とてもあたたかかったから―――
「―――そんな訳で、暫くウチ預かりの柴田勝家だ」
どんな訳だ?
と、何故か、誰も訊かなかった。
「じゃあ俺達の後輩ッスね、筆頭ォ!」
「よろしくな柴田!」
わあっと、場が明るくなるように、主も従も歓声を挙げた。
こんな場所を、知らなかった。
あたたかくて、柔らかくて、何か、まるい、ような。
―――まぁるい、何か。
そう、何だか、とてもまぁるい何かで、この場所は満ちていた。
こんな場所は、知らなかった。
優しいもので満ちている。
あたたかいもので充ちている。
充ち、足りて、溢れ出るような、何か。
そんな場所を、作っているのは。
創り出している、その主は。
優しくて、柔らかい顔で、笑っていた。
「何だ?」
ふと、その主が不思議そうな顔で、微笑みを向けてきた。
傍らには、彼の従者が、ぴったりと寄り添いながら。
そのことは、まるで全く当然のことなのだと、決まりきっている場所なのだと、どちらもが了解しているような、そんな。
「何だ、と、問われても…」
言葉が無かった。
ただ、充ちていたのだ。
柔らかく、まるい、何かに。
「柴田、政宗様は詰問してるんじゃねぇ。ゆっくりで良い」
そんな顔もできるのかと、不思議なほどの柔らかさで、そう言った主の従者は微笑んでいた。
「ま、慣れねぇ場所で緊張すんのかもな。気にすんなよ、奥州はくだけた場所だ」
それは、あなたがそうしているのだ。
あなたが、そしてあなたのその従者が、こんなに、そんなにも、柔らかく、優しい場所にしているのだ。
そう言いたかった言葉が、喉の奥でひりついた。
「そういや勝家のレストルームは何処にすっかなぁ…野郎共とじゃむさくるしいし、かといって客間も仰々しいよなあ…」
「政宗様、貴方様がそんなご心配をなさることはありません」
「Ah?考えてんのか?小十郎」
よく解らない言葉での独り言に、解っているらしい従者の遣り取り。
この世の他の、どんな主従がこんな事が出来るだろう。
「勿論にございます。貴方様が気に入って連れられたのだ、あまり離れてもお寂しかろう、と」
「…聞き捨てならねぇぞ小十郎。誰が寂しいんだ!」
「貴方様のお心がです。宿営まで離せばきっとお小言を頂くだろうと、貴方様のお部屋から見えるあの離れにご用意させております」
「……Godmin!気が利き過ぎだぜ小十郎!」
「過分なお褒めに痛み入ります」
「褒めてねぇ!」
「………あの、伊達氏、片倉氏……私はそんな気使いを頂くつもりは……」
どうしていいかわからない。
優しい主に柔らかい従だったはずの二人が、突然大きな子供とそれをあやす大人に成り果てた。
それでも、自分を拾ったのは、主の方なのだから。多分。
「気にすんなよ柴田。政宗様のお心だ、受けろ」
「それをお前が言うんじゃねぇよ小十郎!」
「は、これは出過ぎまして」
大きな子供をあやしていた大人は、そう言って突然また柔らかい従に戻った。
「……そういうこった、勝家。好きなだけ、居ろよ。アンタの居場所は確保してある」
少し恥ずかしそうに頬を染めている、優しくて柔らかい主は、眩しい光を纏って、笑んでいた。
あの、ときの。
こんな光を、と、思った、あの時の。
―――光を、知らなかった。
世界は、こんなにも眩かったのだ。
世界は、まだまだ、広かったのだ。
それを初めて教えてくれた、月輪の王。
その月輪の王が、今、当たり前のように、手を差し出してくれている。
あの時の、あの感動のように。
「私の、居場所…」
この差し出された手を、ただ、掴むことが、出来たなら。
何の衒いもなく、この手を掴める自分であったなら。
「そうだ、アンタの居場所、まずはFirst stepってトコだな。世界は広ぇ、こっからだろ?」
オレは、その手助けをしてやりてぇんだ。
歌うように紡がれた言葉に、目の奥が、痛んだ。
目の奥が、頭の奥が、痺れるように、じんと、疼いた。
「私を…私の、次なる主が、貴方だと言うのなら…私に、何の異存が」
「Stop!主じゃねぇ、間違えんな。オレはお前を召し抱えた訳じゃねぇ。召し抱えられてぇならそれこそ異存はねぇが、オレはお前にとって、魔王のオッサンみてぇになる気はサラサラねぇ。You See?」
さっきまで差し出されていたてのひらは、何処に行ったのだろう、と、ふと、考えた。
考えたのは、たった、一瞬だった。
ふわりと、柔らかく、いい匂いのする体に、抱きしめられていたことを、知ったから。
「良いか?勝家。オレんトコで泣け。オレんトコで笑え。泣くなたぁ言わねぇよ、アンタはまだ立ったばっかだ。目ん玉見開いたばっかの赤んぼだ」
酷く居心地の良い腕の中で、思考回路が蕩けて行く。
酷く座りの悪い言葉で、思考回路はもう、繋がらない。
ただただ、自分がなにをしているのか、わからない、だけだった。
「そうだ、そうだ。泣きゃ良いんだ、勝家。オレだってさんざ泣かされたぜ、なァ?小十郎」
「片倉氏が、伊達氏を…?」
「政宗様がご幼少のみぎりの話だ。しかもあれは、剣の稽古の上のこと」
「だから、言ったろ?…アンタは、泣いてた頃のオレなんだよ。オレを引っ張り上げたのは、小十郎だ」
だから、オレは、日の本全部の、泣いてるオレを、大丈夫だって、言ってやりてぇんだ。
大丈夫だ。
絶対に、大丈夫だと。
疎まれて育ったもの同士が、それでもこんなに毎日、優しく過ごせる。
勿論、毎日じゃねぇ、そんなことはオレも解ってる。
でも、限られた日の及ぶ限りに優しく、柔らかく、在れ。
「……夢物語だと、笑うか?勝家」
鬼神でも罪を赦しそうな笑みを浮かべて、その人は―――この人は、背を、あやすように叩いてくれていた。
ぽん、ぽん、と叩かれるあたたかさが、ますます目の奥を疼かせる。
「貴方なら―――きっと、貴方なら、成せるだろう―――伊達氏」
貴方は、こんなにも、大きい。
それは、貴方だから、できたのだ。
見ている場所が、全く違う。
暗く、深く、淵さえ見えないあの深遠とは、まるで全く縁が無いように、満月のような明るさで笑えるのに。
「だから、アンタに出来ないって、何で決める?オレができたんだ、あの真っ暗闇から引っ張り出してくれた小十郎が、オレには居た。アンタにその誰かがいねぇと、どうして今から決める?」
「これは…政宗様、あの当時のことは、小十郎も若ぅございましたし…」
「ああ、毎日毎日顔つき合わせて喧嘩してたな。疎まれた伊達の嫡男と、居場所の無くなった宮司の息子でな」
それでも、今、貴方方は、とても明るい。
とても、優しい。
そこに辿り着くまでに一体、幾星霜があったのか。
この世の縁ではとても切れぬほど、堅く、太く、導き合っている様に見える。
「泣いて―――気が済むほど泣いて、そしたら行こうぜ、アンタを待ってる誰かを探しに」
ぽん。ぽん、ぽん。
背中を優しく叩かれて、ああ、この人は、人を【臣従】させるのではなく、【心酔】させるのだ、と、ふと納得した。
替えの駒など幾らでも居るとは、この人は絶対に言わないのだろう。
この人にとって主も従も、等しく、替えのきかない【誰か】なのだろう。
それが、【好敵手】であったとしても。
この人は、人を、人と認めるのだ。
ひと、なのだと。
斬れば血を噴き、どこかで誰かが祈るように帰りを待っているかもしれない、【ひと】なのだ。
このひとは、あの人とは、全く正反対だ。
魔王でも覇王でも、そして自ら一度名乗った竜王でもなく、ひと、なのだ。
ひとは、こんなにも、優しくて、あたたかい。
「伊達氏…貴方は、暖かい」
言葉が。
態度が。
くるむ空気が。
「伊達氏…私は、もう一度、生きても良いのだろうか…?」
傀儡だと捨てられた。
妖だと言われ続けた。
心はいつからか、無かった気がする。
それも、もういつ失くしたのか、思い出せないほどの、遠い昔だ。
「もう一度?アンタは死んじゃいねぇ、何度でも再生させるさ、なぁ?小十郎」
「御意」
優しい主に、同じように優しい彼の従者が、微笑んだ。
ああ、この空間は。
柔らかくてやさしくて。
ふたり、で居る事がもう、多分、とても自然な。
だからこそ、この空間が作り出せるのだ。
優しくて柔らかくて、何か、まぁるい、そんな、空間を。
「一緒に来いよ、勝家」
微笑まれた表情は、もう、眩しくて。
ふたり、という完全な形を手にしたその人は、眩しくて、きらきらしていた。
「…貴方が、そう、望んでくれるなら」
何処へでも行こう。
貴方の指し示す道標に、きっと誤りはないのだから。
あのときの手が
てのひらが
―――とてもあたたかかったから―――
貴方達の手に入れた、その完全なる形を、私も、いつの日か、手にすることがあるのだろうか。
2014.05.09 初BASARAでーす。とーぜんベースは小政。筆頭語難しいですね。勝家視点って…と思わないで下さい。勝家もわんこのようで好きです。政宗様に拾われたわんこ。今度からがっつり小政書く気です。
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