アオゾラ

 

 
 あなたがくれた

 優しいものを
 
 あたたかいものを

 あなたがくれた


 あなたが くれた









 ひどく、顔立ちの整った子供。
 それでいて、ひどく、生気の無い子供。


 疱瘡を病んだと、義姉から聞いた。
 整った顔立ちに、幾重にも右目に巻かれた包帯。
 

「―――お前、運が無いな。小十郎」


 最初の言葉がそんな言葉だった気がする。
 
 
 この世の全てに絶望している子供。
 まだ、こんなに小さいのに、一丁前に、絶望していた。

 子供の絶望は、暗く、深く、何処までも果てが無い。


「こんな主押し付けられて、迷惑だな、お前も、喜多も」

 義姉の名が出たので、一瞬、緊張してしまった。
 この子供の乳母、そして自分の義姉。
 
「早く飽きろよ。そんで、さっさと城から出て行け。オレがお前にやれるものは何もない」

 この、子供は。
 一体どんな仕打ちを受け続けたのか、この世に、膿んでいる。
 膿んで、飽いて、何もかもを諦めようとしている。
 

 ―――小さな指先を、青くなるほどに握り締めて。


「お前が引いたのは、ハズレ籤だ」

 つまり、それが自分だ、と。
 外れ籤、それは自分自身がそうなのだと。
 笑いもせずに、淡々と。
 笑うことなど疾うに忘れてしまったという表情で、淡々と、言った。
 もう、膿んで、飽いて、でも、縮こまることをだけ、出来ない。
 それは、多分、最後の彼の矜持で。
 縮こまってしまったら、彼の矜持は、簡単に吹き飛ぶのだろう。
 
 子供の持つ矜持は、透明で、毀れ易い。

 何処までも透明で、それを、勝手な大人の事情で、散々手垢をつけられてきたのだろう。
 
 汚されてしまった矜持は、簡単には元には戻らない。
 汚した年月の倍かけて、洗い流さねばならぬものだ。
 
 それなのに、この子供は、それさえも、諦めている。

 彼にとって『大人』は、どれほど身勝手だったのだろう。
 どれほど、彼の周りの『大人』は、彼に対して傍若無人に振舞ったのだろう。
 

「…じゃあ俺が、当たり籤だったら?」


 言われた言葉の意味が解らなかったのだろう、零れ落ちそうに大きな隻眼を、パチパチと瞬きさせていた。
 初めて見る、表情の変化だった。

「梵天丸。お前にとって、俺が当たり籤だったら?」
「これ、小十郎!梵天丸様に何と言う口の利き方を―――」
「良いよ、喜多。いきなり若様と来られちゃ気持ち悪ィ。それより、面白ぇこと言うな、小十郎」

 
 子供の表情に、僅か、輝きが射した。
 何もかもを膿んで諦めていた表情から、興味、へと。

「オレは喜多のおかげでここまで身体はでっかくなった」
「梵天丸様、なんて勿体無い仰せを…」
「それはホントだろ?喜多」
「ええ、ええ!御身大きくなられましたことが、喜多の喜びでございます」
「で?これ以上、お前はオレに何が出来るんだ?小十郎」
「お館様より、剣の指南を、というのがご希望だ」
「はっ。鳥居の奥で踊る剣なんか教えてもらわなくても―――」
「人を出自で見限るな、梵天丸。それを今の世でやれば、鄙者よと誹りを受けよう」

 本来なら、己の身分では、仕官など叶わぬ夢。 
 それでも今の世には、一介の小城から天下へと伸し上がった織田信長がいる。
 彼は、人を出自にて由らず、あれほどの軍勢を指揮して、天下を我が物に、というところまであと少しだ。
 
「人を出自で侮るな。出の賎しい者でも、お前の役に立つ人間は必ず、いる」
「それが自分だと?」
「もしもそうだったら、そしてそうなれたら、お互いに、無上のものを手に入れるだろう」


 無上のもの―――自分で言っていて、寒気のする台詞だった。
 そんなものは無い。
 実は、何処にもないんじゃないか。
 
 親戚筋でさえ疎まれ続けた自分には、この子供の絶望が、よく解る。
 無為な日々を過ごし続けた。
 あっちへ行け、こっちへ行け、と、たらいまわしの日々。
 
 ましてこの子供は、高貴な生まれだ。
 それゆえに、絶望も深かろう。
 何だか、在りし日の自分の、深い影がこの子供に重なる。



 けれど、何か、違うのだ。
 この子供と自分では、決定的に、何かが、違う。




 それは解らないまま、また梵天丸にも告げないまま、日が過ぎた。
 鍛錬という名の喧嘩を、もう何度やったか解らない。
 
 知っている。
 これは、同属嫌悪というヤツなのだ。
 その苛立ちも、腹立ちも、何もかも、解る。

 解るからこそ、それに身を委ねてはいけないのに、暗い場所へ棲もうとする、梵天丸。
 理想と現実との乖離が激しいので、ついていけなくて、簡単に絶望する。
 絶望して、自棄になって、そしてまた喧嘩する、を繰り返していた。

 
 自分は、彼にとって『傅役』ではなく、『剣の指南役』なのではあるまいか。


 それほどに、意思の疎通が図れない。
 気持ちは解るのに。
 痛いほど、その、『気持ち』は解るのに。
 焦れている。焦っている。けれど、どうしようもない。
 そこに触れたら、彼の『矜持』にまた、手垢をつける一人になってしまう。
 


「はあーぁ…」

 思った以上に、『城』は針の筵だった。
 宮司の息子が、嫡男の傅役など、有り得ない大出世だったのだ。

 
「梵天丸を鍛えてた方が楽だな、これは…」
 
 
 城の中では、あからさまな嘲笑が耳に届いた。
 義姉を乳母に出し、自身は傅役で大出世だと。
 そういう話を聞くのが嫌で、梵天丸の勉学の時間中や、就寝中――まだ『お昼寝』の必要な子供なのだ――には、できるだけ城外に出ていた。
 

 そんな中、ふと、飛び込んできた会話。


 ―――片倉の栄達はここまでよ。
 ―――あんな主なのだ、家督はおそらく竺丸様だ。
 ―――あんな当主があってなるものか。


 目の前が、真っ赤になった。
 こんな、謂れの無い中傷を。
 こんな、下卑た言葉を。


 あの小さい身体は、胸を張って、何度聞いたのだろう?


 目の前が、真っ赤になった。


「何があったって、ウチの筆頭は梵天丸だ!それを貴様らごときが穢してんじゃねぇ、下種が!」


 そう叫んで、『竺丸派』だと思われる家臣を、何度も殴りつけた。
 あの子供を怯えさせたのは。
 あの子供を、ああまで追い込んだのは。
 この連中だと思うと、腹が立って仕方が無い。


 このとき、一体自分が殴る蹴るした相手は誰だったのか、覚えていない。
 ただ、覚えているのは。

 梵天丸にとって、俺もこいつらと同じ、『大人』だ、という、鈍器で頭を殴られたような衝撃だけだ。


 そして、初めて芽生えたのかもしれない、『庇護欲』というもの。
 『伊達の棟梁になる人間なら誰でも良い』家臣たちとは、自分は完全に一線を画していた。
 もう自分は、『梵天丸でなければならない』、彼にとって希少な存在だったかもしれなかった。


「梵天…天翔ける竜と、成れ…」
 

 誰に言うでもなく、呟いた。
 
 人を思うということは、こんなにも、暖かいものなのか。

 じわりと、染み出してきた、これが心。
 
 あの子供を守り、傍に行くことで、ほんのり灯ったように感じる光は、何処までも眩しくなるかもしれない。




 憐れんだのではない。
 
 ただ、もっと傍に、行きたくなった。
 
 そうして、心からあの小さな主を大切にして、叶うなら、大切に、されて。

 そうして生きてみたい、と、初めて思った。




「――――-?」

 そんなことを考えていたら、突然、ドン、っと後ろから軽い衝撃があった。
 足元には、就寝中で居ない筈の、梵天丸が、いた。


「どうした?梵天丸」


 まさかさっきの立ち回りを観られたのではあるまいな。
 若干、嫌な汗が伝ったが、その気使いよりも、先に。


 花開くような顔で、梵天丸が、笑っていた。



 胸の灯りがまた、少し大きくなるのを感じる。


「…梵天丸?」


 ぽん、と肩に手を置くと、ますます、笑っていた。
 どうして笑っていたのか、解らない。
 

「小十郎!稽古だ!オレはもっともっと、強くなる!」


 握り締めている拳は、もう、青くは無かった。
 そう言った頬は、まるで幼子のように、高潮していた。

 ひどく生気のない―――と思った顔が、何かに、満ちていた。


 抱きしめたくなるほどに。

 そして、気付いたのだ。

 この小さな主の笑顔を見て、自分も、久方ぶりに、微笑んだことに。
 もう、そんな感情は、失せ果てたと思っていたから。


 生きてみるのも良いのかもしれない。
 疎まれた嫡男と行き場の無い宮司の息子二人で、一体何処まで行けるのかを。
 失った右目の代わりに、この子供が一体、何を得るのかを、見るために。
 

 傷つき凝った雛が、二羽、今はただ、寄り添っているように見えても。







 あなたがくれた

 優しいものを
 
 あたたかいものを

 あなたがくれた


 あなたが くれた



 だから、どうか、あなたのために。























2014.05.21 二回目で小梵。うん、馴れ初め書かないと気持ち悪い体質でして、私。でも馴れ初め本気(ナニそれ)はまた書きます。



 

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