あなたのそばで 前

 

 
  ようやく、お傍に。

 政宗様、ようやく、お傍に。




 この想いは、いつしか、禁忌と成り果てた。






 そんなことで、あなたのお傍に居たかった訳じゃない。



 貴方は、今生、俺を目にして、涙を流された。
 ひどく唐突に、まるで、人形がそうしているのかと思うほど、静かに。
 隻眼から、ぽろぽろと流れ落ちた、大粒の雫。


 ああ、やはり、貴方だった。


 間違いもなく、貴方だった。




 お探し致します。

 何処に在られても。



 ―――お探し致します。



 あの約束を、覚えていてくださったのか、あの方の魂が。


 あの方が、前世、そうされたのかは、知る由もない。
 俺が逝ってしまった後、貴方が、一人、泣かれたのか、それを知る由もない。


 まるで、その様を見せるように、涙を流された。



 それで、俺の中の物思いは、全て、本当に全て、浄化され、昇華したはずだった。



 貴方だった。
 貴方は、貴方であり続けている。
 貴方だった。
 貴方は今、其処に。


 何も知らないはずの、無垢な貴方が、今、其処に。


 お守り致します、命を懸けて。
 前世でもそうしたように、命を懸けて。



 その思いに嘘は無かった。
 今でも、その思いは、胸の奥で、宝物のように、在り続ける。



 無償の信頼。
 無垢な魂。



 前世で、貴方があんな辛い境遇で育たなければ、もしやこう在ったかと思えるような、無垢で、清らかで。




 けれど次第に、清らかな貴方の重さが、苦しくなってきた。
 抱きしめる腕にかかる重さが、苦しくなってきた。




 抱きしめられることを疑わない、さらりと伸ばされる腕。
 無垢な、笑顔。
 じゃれつき、まとわりつき、全てに許されているような、笑顔。


 それらが、貴方が成長なさるにつれ、苦しくなってきた。


 美しく健やかに育たれる貴方を見る事は、無上の喜びであることに、間違いはない。
 貴方は、清廉で、美しい。
 ご自身が持つ独特の、人を惹き付けて止まぬオーラをお解りでないことも、愛おしい。
 
 


 愛おしい。


 貴方の全てが、愛おしい。



 狂おしく愛おしく、貴方を見る者全てを許せなくなってくる。



 貴方にばかり向く、執着。
 貴方だけに向く、執着。
 貴方だけが、俺の全てを奪う。

 貴方になら、何もかもを、捧げる。
 世界を奪い取ってでも、貴方に捧げる。


 この、執着。


 今の世では、あってはならぬことだ。


 今の世では、政宗様は、ご家族にも愛され、好きな勉学も武道もされ、健やかに育たれている。
 俺しか居なかった戦国の世とは、何もかもが、違いすぎる。
 
 あの頃の政宗様には、確かに俺しか居なかっただろう。
 俺の義姉の喜多と、俺しか居なかったろう。
 戦場ですら心を預け、許し、共に居る、というのは、本当に、俺しか居なかっただろう。

 あの頃の政宗様も、勿論国主というご自覚はおありだったが、それでも、人が集まってくる、そんな雰囲気をお持ちだった。
 明け透けではなく、それでもどこか、慕わしげで。
 西海の鬼、前田の風来坊、雑賀の三代目、徳川、柴田勝家、何よりも真田幸村。
 みな、それぞれの形で、政宗様に信を置いていた。
 

 誇らしい主。
 美しい主。


 元服前から政宗様をお守りしてきた俺は、それが誇らしかったし、同時に妬ましかった事もある。
 
 けれど、あの頃の政宗様は、言ってくださった。
 背中を預けられるのはお前だけだと。
 全てを預けられて吐息がつける、そんな存在はお前だけだと。

 お前だけだと言われて、どれほど俺が、魂の底から驚喜していたか、ご存知あるまい。
 
 俺にも、貴方だけです、政宗様。
 貴方が居てくだされば、それで良いのです、政宗様。
 貴方の道を塞ぐものは、全て取り除きましょう。
 貴方が進まれる道は、いつも正しくて、眩い。

 そうしてただ、突き進むように生きた、前世。
 あの方は、俺の何倍もそうして、重荷を背負っておられたことだろう。

 俺は、最後の一瞬まで貴方のことを想って居られて、幸せでした。
 あなたに手を取って頂いて逝けるなんて、望外の喜びでした。


 俺は、幸せだったのです、政宗様。
 最後の瞬間まで、幸せだったのです。
 貴方をお守りすることが出来て。
 貴方に手を取られて、逝けて。

 俺は、幸せだったのです、政宗様。




 ―――けれど、貴方は?



 それを訊くことは、もう出来ない。
 あの方は、全てを忘れて、生まれて来られた。

 辛かった過去を。
 重かった責任を。
 
 何もかもを脱ぎ捨ててなお、清らかに、健やかに、今の世を楽しんでおられる。


 貴方に、何一つ、重荷を背負わせまい。


 それが、今生での俺の誓いです。
 貴方には、時が来るまで、お伝えする気は、ありませんが。



 そう。



 【時】とは、いつだ?



 ボンヤリと考え始めたのは、あの方が高校生になられた頃。
 自分でも我慢強かった。
 春になり、夏が来て、秋が来て、そして冬が来る。
 それを二回繰り返しても、ボンヤリと考えているだけだった。
 ボンヤリと考えてはいたのだが、日々、それは顕著になっていって。


 いつもの試合だった。
 全国大会常連の政宗様が、僅差で「全国2位」となられた大会。
 
 本当に、僅差だった。
 あれが竹刀だったから敵方の勝ち、となっただけで、真剣なら確実に、政宗様の引き胴が相手方に致命傷を与える方が先だったろう。
 あれが真剣だったら、打突後の残心など、問題ではない。
 相手は政宗様に斬られて死ぬだけだ。

 そう考えて、「真剣だったら」と考える自分の思考にも、笑えた。
 この世界には、もう必要のない「真剣」。
 それでも、政宗様は、「真剣」で戦っておられるのかと、微笑ましくもあった。
 今日は荒れるな、と思っていたから、政宗様のお着替え中に、車を暖めながら、苦笑する余裕があった。
 あの、お姿を見るまでは。



「小十郎!今日は小十郎ん家に泊めてくれ!!」

 軽くシャワーでも浴びられたのだろう、まだ乾ききっていない髪をガリガリと掻きながら、政宗様は車のバックシートに、防具を叩きつけた。

「……小十郎は構いませんが。ご自宅で、戦勝祝いの準備でもなさっておられるのでは?」
「それが嫌だからだ!Shit、俺の胴のが速かったのにあのクソ審判!」
「俺が見ていても、政宗様の方が速かったですがね。竹刀剣道は、そういったものですよ」
「ムカつく!何より、オレが負けたって事実にムカつく!!」

 ブロロ…と、丁寧に車を発進させている間も、政宗様の怒りは収まらない。

「2位だぜ!?2位!!威張れるかよ、そんな数字が!!」
「…ご家族は、全国で2位なんて凄いと、お喜びになられると思いますが」
「それが判ってるから嫌なんだ!!小十郎は判ってくれるだろ!?オレの悔しさ!!」
「…ハイ、政宗様の引き胴はお見事でしたからね。ただ、打突後に体勢が崩れなければ、の話でしたが…」
「細けぇんだよ!!あれが真剣ならアイツの胴は真っ二つで、オレに小手打つ余裕なんかなかったっての!!」
「そのご意見は、小十郎も賛成です」
「だよな!?」

 そんなことを言いながら、車は、俺のマンションへと走り出す。
 今日は日曜日だ、伊達家のお抱え運転手を出させるのも気の毒だ。
 そんな、少々苦しい言い訳で奪い取った、「運転手」の座だった。

「では、小十郎の部屋で、残念会でも致しますか。生憎、政宗様がいらっしゃるご予定はなかったので、食糧が足らないかと思いますので、ちょっとスーパーに寄っても宜しいですか?」
「I see、いきなり押しかけるんだ、買い物ぐらい付き合うぜ」

 そして、一通りの買い物を済ませ、政宗様の為に磨いた腕で料理を振舞っている最中。


「小十郎。ビール、オレにもくれ」


 愛されて、真面目で。綺麗で。
 

 …我が子が悪い道に入った親と言うのはこんな気分なのかと、一瞬、目の前が暗くなった。


「何だよ、飲んだことねぇよ。いっつも、小十郎が美味そうに飲んでるなーと思って、真似してみてぇだけだよ」

 …未成年者の目の前で飲酒は、ヤバかったか。
 でも、輝宗様も、飲んでおられるはず。
 あの方は、晩酌がお好きだから。

「今小十郎が飲んでるのでいい。一口、くれよ」

 そう言って、手を伸ばしてくる。
 この手を諫めるべきか、それとも思春期の冒険だと、こっそりグラスを持って来るべきか。

 逡巡していると、俺が手に持っている缶が、するりと奪われる。
 そして、一気に、といった感じで、こくりと嚥下する喉が見えた。

 白い。
 酷く白く、瑞々しい、綺麗な身体。

 見とれていたのだが、政宗様は、変な顔をされていた。

「…苦ぇ。良くこんなモン美味そうに飲めるな、小十郎」
「……政宗様には、まだお早かったのですよ。さ、お返しください」
「返したって、もう入ってねぇよ。甘いの、ねぇの。チューハイとかそんなん」


 入ってない、とは。
 500ml缶の、残り三分の一を一気飲みされた、ということだろうか。
 いや、ビールが惜しいんじゃねぇ。
 酒の初心者が、そんな飲み方をしてもいいモンかと、考えてしまっただけだ。


「あ!良いのが冷えてる!小十郎、このワイン飲んでみてぇ!」

 冷蔵庫を開けて、嬉々として報告される。
 ソレは、実は俺の秘蔵のワインだった。
 アウスレーゼより甘めの貴腐の、舌触りが絶妙な、何か良い事があった日に開けようとして、もう3年ほど経ってしまったものだ。
 購入した時には既に、結構な年代ものだった。
 ワインは、寝かせるほどいい。熟成されて、甘みが増す。

 年代ものの貴腐は、政宗様のおねだりによって、開封されるようだ。

「構いませんが。…貴方は酒の飲み方をご存知ない。自棄酒のような飲み方だけは、なさらぬよう」

 政宗様にねだられると、俺はどうしても、どうしても弱い。
 コルクを抜いて、ワイングラスに少し、黄金の色の液体を注ぐ。
 見事な黄金だった。流石は、十年物の貴腐。

「…どうぞ」
「あれ、これぽっち?」
「ワインは、がぶ飲みするものではありません。まずは、あなたのお口に合うか、テイスティングです」
「ふーん…あっ!」

 恐る恐る、といった感じで、ワインを一口、含まれた後。

「美味ぇ!何これ、ジュースか!?メッチャクチャ甘ぇ!!美味い!!」

 ―――どうやら、お気に召した模様だった。
 すぐに空になったグラスを、もっと、と差し出してくる。

 未成年の政宗様に酒を飲ませたと知れたら、俺はクビだな。
 それでも、目の前の、この笑顔には敵わない。

 この笑顔が見られるなら、何でもするだろう。

「お口に合ったからと言って、がぶ飲みはいけません。ボトル半分くらいで止めておきましょう」
「何だよ、ケチだな、小十郎」
「ケチなのではございません。そもそも、アイスワインや貴腐ワインは、フルボトルを一日で空けるような飲み方をしたら、口の中が甘くて後が困りますよ。開封して半年経っても味は変わりませんから、ゆっくり飲みましょう…って政宗様!?」

 薀蓄をたれている間に、政宗様の手の中のグラスは、零れるほどに並々と注がれている。

「I see I see、美味いと思って飲めばワインも喜ぶって」

 そうしてまた、一気飲みに近い形で飲み干される。
 未成年に、酒類提供。
 また一つ、輝宗様に顔向けの出来ぬ事態が発生してしまった。

「あー、でも、なんかムカムカしてたのが、ちょっとほぐれた。Thanx、小十郎」

 頬を上気させて、ご機嫌な政宗様。
 お可愛い。
 ほろりと、子供の頃のような表情をされる。
 
 それがまた、愛おしい。


 愛おしい。


 そう考えるに至って、俺は、無理に頭の中に在る『政宗様愛しいアルバム』を消去しようと必死になった。
 勿論、色濃く残るばかりで、消去は不可能だ。
 都合よく、愛しい政宗様のことばかりを覚えている、俺。

 前世でも、こうやって寛いで、お傍に居させてくださった。
 今生でも、叶うらしい、それ。
 


 俺が、何も。


 政宗様に、妙な【情】を向けさえしなければ。


 この愛おしさは、身体の奥で、頭の一番深いところで、縊り殺せる気持ちのはずだ。
 そう思ってもう、何年だ?

 政宗様が、大事だ。
 政宗様に出逢う為に、生きてきた。

 政宗様の、あの大粒の涙で、俺は、報われた。
 そう、それで【報われた】筈だった。


 上気する頬。
 楽しげに、明るく慕わしく、微笑む姿。


 それ以上を望んじゃいけねぇとは思うのに。
 


 どうしても。
 
 
 美しい肢体に、美しい表情に、誇らかな王者のような風体に、【何か】を求めてしまう。



 そして、葛藤しながら、俺は見てしまったのだ。


 予想通り酔い潰れて、しなだれかかってくる、柔らかな身体。
 うっすらと目元にまで紅を刷いて、意味の通じない言葉をもごもごと。

 
「…政宗様。お風邪を召しますよ。お眠りになられるなら、小十郎のベッドへどうぞ」

 ふ、と、政宗様の身体を抱き上げた時。
 この方はこんなにも軽かったのか、という驚きと、こんなにまで成長なされたか、という、驚きと。

 今、この表情を、政宗様にご覧に入れなくて、正解だったと、俺は思う。
 一体、どんな表情で居たのか、自分で判らなかったから。

 幼子の成長を喜ぶ姿だったのか。
 ―――それとも。

「ん〜…寝る、けど、ベッドは小十郎が…使え。小十郎のベッドルーム、奥だろ?俺リビングで寝るから、起こしてくれなきゃ、学校、まにあわねェ…」

 泥酔、とまでは行かないのか、意外にしっかりしている答えが返ってきた。
 
「明日は帰んねぇとなァ…親父の着信、切っといたしな」

 ゴロゴロと布団に転がりながら、政宗様は独り言を言われていた。
 社長の着信拒否…。
 多分、その八つ当たりは、出社して、俺のところに来るだろう。
 それでも、そんなことはどうでも良かった。
 本来俺は社長にも政宗様にも豪気な男だと思われてはいないだろうが、事、政宗様が絡むと、どうしてもダメになる。
 社長のお叱りくらいは、受けよう。
 そんな気分にさせてくださるこの方は、やっぱり、奇跡だ。

「…政宗様。そのお姿のままでお眠りになられるおつもりで?」

 政宗様は、高校のジャージを着たままだ。
 勿論、武道館備え付けのシャワー室で、汗を流してこられたことは、充分判る。
 ただ、ジャージというのは、意外と寝にくいものだと、経験則から知っているだけで。

「Fum…じゃあ、風呂入って…小十郎、着替え、なんか貸してくれるか?」

 そういう目は、ちょっと覚束無い。
 やっぱり、酒が入ってるからだろう。
 ワインは、いくら口当たりがフルーティーでも、それなりに度数はある。

「今の政宗様を風呂にお入れするなど、危なくて出来ませぬ」
「…危ない…?」
「酔ったあまり、風呂場で眠っておしまいになりそうです。なかなか出てこない、と思って様子見に行ったら、政宗様が風呂で溺れていらっしゃったりなどしたら、小十郎は、迷わず後を追ってしまいます」

 ソレは、やっぱり全く本当の気持ちだ。
 大体、身体が汚れているから、ではなく、ジャージをお着替えになられたら、というのが、主旨だったのに。

「じゃあ小十郎、一緒に風呂入ろう!ガキの頃はよく一緒に入ったじゃねぇか!!」


 目を輝かせて仰る政宗様。
 ソレは、政宗様が、全くの子供だった時代です。
 男二人で、セパレートとはいえ、マンションの風呂は狭いかと存じます。

 しかしソレは、俺の口から出るより早く。


「小十郎が一緒だったら安心だろ?なァ、一緒に入ろう、風呂!!」

 何と、残酷なお誘いか。
 けれど、俺は、政宗様のお誘いを断れるほど、鉄の理性を持っていなかった。

「……では、政宗様が、湯に当てられて、お倒れになる前に、お支え致しますよ」
「Don't Mind!よし、そうと決まったら、風呂だ、風呂!!!」


 嬉しそうな政宗様に、否やを言える気力もない。
 手を惹かれるまま、バスルームに入った。

 当然、銭湯ではない。
 一応の気使いで、腰周りを隠すタオルを政宗様にも、俺にも着けた。
 
 しかし、それ以外は一糸纏わぬ姿。

 
 剣道で鍛えられた体は、予想を超えて、美しかった。
 そして、この時期特有のものなのかもしれないが、何だか、感じたことのない色気さえ、漂っているような気がした。
 
 

 剣の道のことで、熱くなって。
 その火照りを醒ます為に、酒、そして風呂。
 戦国と行動パターンが同じであることも、ちょっと可笑しい。


 だが、今の俺に、笑っている余裕はなかった。


 焦がれた身体。
 触れたい、と望む身体。
 
 他のどんな人間の身体でなら、こんなに、全身の血が逆流するような気持ちになるだろう。


「小十郎…やっぱ、暑ィな。どしたよ突っ立って。半分空けるから入って来いよ」

 ぱちゃり、と湯が揺れる。
 顔を真っ赤に上気させて、政宗様は、湯船を空けようとなさっている。
 勿論、細身の女ならいざ知らず、俺のようなガタイの男が入っていけるほど広くはない。
 政宗様に触れずには、だ。

 綺麗な身体。
 細く、しなやかで、均整の取れた、ひどく綺麗な身体。

 触れたい。
 確かめたい。
 貴方がそこに居ることを。
 貴方の熱を、確かめたい。


 でも、それは禁忌だ。
 
 
 俺の想いは、もう、禁忌に成り果てた。
 【欲】に塗れて、禁忌に成り果てた。


 これほどまでに寄せられている信頼を、裏切るのか?俺。


 ご家族と共に笑える未来が、この方にはあるのだ。
 もう、俺しか居なかった、あの世界とは全く違う世に、この方は生きていらっしゃるのだ。


 健やかで、平らかで、美しい。


 綺麗な場所に、この方は生きていらっしゃる。


 それを、俺の【欲】で穢すのか?


「……小十郎?入って来ねぇのか?」
「…俺はシャワーで。政宗様、ゆっくり浸かりすぎると、立てなくなりますよ」


 抑えろ、俺。
 何もなかったような顔をしろ。
 実際、何もなかった。
 今ならまだ、何もない。
 
 
 今生でも、政宗様を抱ける、そんな夢を見るな。


 あの世とは、もう何もかも違いすぎるのだから。
 この方を愛するのは、俺だけじゃ、ないのだから。


「Fum…立てなくなってもカッコ悪ィから、出るかな…おっ!?」
「政宗様!」

 途端、政宗様が、ふらりと大きくよろめいた。
 茹ったのだろう、顔も、身体も、薄いピンクに上気している。

 咄嗟に手が出て、抱きしめる形になる。

「お…あ〜ビックリした。Thanx小十郎」

 俺に抱きしめられたまま、本当に驚いた声音で、政宗様は笑う。
 俺は、猫の仔の様に早い鼓動を、政宗様に聞かれやしないかと、冷や冷やした。
 綺麗な身体。
 贅肉のない、均整の取れた、伸びやかな身体。 
 どうしてこの身体は、こんなに俺の腕の中に、すっぽりと入ってしまうんだろう。
 抱き潰したい。
 このまま、抱き潰してしまいたい。
 

 貴方を、抱きたい。


 情けないほど本当の、魂の底からの、俺の【欲】。
 
 
 貴方を、抱いてしまいたい。

 
 そうしたら、貴方は俺の事だけ見てくださるだろうか?
 それが叶えば、貴方は、俺を愛しいと思ってくださるだろうか?


「…小十郎、もう大丈夫だ…」
「……ふらついておられます。ベッドまで、お連れ致しましょう」


 努めて平静に、振舞って。
 この気持ちを、殺してしまう為に。
 貴方を穢す気持ちを、縊り殺す為に。


「小十郎?何か変だぞ?」

 脱衣所で、身体を拭きながら、政宗様は俺を覗き込んでこられる。
 あまり、ご覧にならないで頂きたい。
 身体の熱を忘れようと、必死なのに。

 貴方を抱いた腕の感触を忘れようと、必死なのに。

「……さ、少しお茶でも飲んで。あまり役には立たないかもしれませんが、酒を冷ましに」
「…お前が言うほど酔ってねぇよ。過保護なんだよ、小十郎」
「勿論、貴方をお預かりしているのです、何か間違いがあってはいけません」

 そう、今の俺は、あくまで時々、伊達家から政宗様をお預かりするだけの男。
 それ以上出過ぎることなんか、あっちゃならねぇ。
 俺は今、この方の【右目】でも、【軍師】でもないのだから。


「間違いねぇ…小十郎が、俺の為にならねぇ事、するとは思えねぇけどな」

 俺のものだから、かなり大きめのTシャツをダボダボにして着た政宗様が、今度は俺のベッドに転がって、呟いた。
 Tシャツすら暑いのか、パタパタと、端で扇いでいらっしゃる。
 …クーラーでもつけた方が、良いか。
 
 時間を設定して、クーラーをつける。
 そうしたら、政宗様は起き上がって、送風口の方に顔を向ける。

「I'ts so Cool!キモチイイな、小十郎」

 まるで、猫がそうしているのかと思うほど、しなやかに伸びをして、それから微笑んだ。
 美しい猫。
 美しい貴方。
 貴方は、どうか、そのまま。

 その祈りだけは、本物なのに。
 混り気もなく、本物なのに。


「こんだけ涼しかったら一緒に寝れるな!Come on、小十郎」

 ポンポン、とベッドの隣を叩く、政宗様。

 ―――本当に、勘弁して頂きたい。
 俺の理性は、鋼鉄どころか、ダイヤモンド並だと思ってらっしゃるのだろうか。
 
 これほど愛しい相手と共寝をして、どうにかならぬ男が居たら、是非ご教授願いたい。


「オレと一緒じゃ嫌か?小十郎」
「滅相もございません、政宗様。ただ、政宗様に狭い思いをさせるのは、と…」
「No plobrem!ホラ、小十郎」

 ぐい、と手を引かれて、ベッドに一緒にダイブ。
 そして、政宗様は、何を考えておられるのか、ピッタリと俺の背に抱きつかれた。

「ま、まま、政宗様…?」

 さすがに狼狽する。
 この場面で狼狽しない男が居たら、是非、是非ご教授願いたい。
 頭の中で般若心経でも唱えて居ろという事か。
 何だ、この新しい拷問。


 …と、俺は大いに慌てたが、しかし。

「小十郎とくっつくの、安心するな…。何でだろう、小十郎は最初からずっと、オレを安心させる…」

 ぽつり、と呟かれた言葉。
 最初とはきっと、あの、泣いてくださった邂逅から、だとは思うが。
 あの、綺麗な綺麗な、優しい涙は、今も、俺の宝物として、胸の中にある。
 
「オレ、今日家に帰ってたら、ムチャクチャ腹立てたまんま、ヤな奴になってたと思うんだよな。でも、小十郎は、オレを落ち着けてくれる」

 政宗様、そんな、勿体無い。
 けれど、もしかしたら、魂の底で、覚えていらっしゃるからじゃないかと、思った。
 昔から、政宗様を落ち着けるのは、俺の役目だったから。
 猛り、逸る政宗様に、落ち着かれよ、と何度言ったか。

「小十郎は…変な奴だよな。何で、こんなオレと、一緒に居てくれるんだろ。いつの間にか、オレ、小十郎が居るのが当たり前になっちまってる。…ダメだな」

 俺の背中から回っている腕に、力が籠るのが判る。
 これは政宗様の今の想いか、それとも過去の記憶がそうさせるのか。
 自分に都合のいい解釈だとは解っちゃいるが、まるで、どこへも行くな、とでも言われているように。

「オレは我儘だし、ガキだし。親父の命令でも、こんな、休日までオレの為に割いてくれるなんて、ホンット、お人好しっていうか…変な、奴…」

 何で、こんなオレと一緒に居てくれるんだろ。
 小さな小さな声で、政宗様は、もう一度、言われた。

 胸が締め付けられる。
 そんな風に想って頂けていたなんて、有り難くて、涙が出そうだった。

 俺は、俺の為に、政宗様のお傍に居るのだと、思っていたから。
 今生では、俺は必要ないのかと、何度も自問自答を繰り返した。
 俺の存在は、政宗様の障壁でしかないかと、何度も思った。
 
 政宗様が、俺が居ることが自然だなんて、そんな風に。


「…小十郎は、お人好しでも、愚かでもありません。ただ一人のお方のために、そうするのです」


 背中に抱きつかれているのでなければ、抱き返したい。
 そう思ったが、がっちりと抱かれた腕は、解けそうにはなくて。
 代わりに、俺の胸の辺りで交差している政宗様の掌に、俺のそれを、添えた。


「それって、親父?」
「…何故そこで社長ですか。…貴方の為ですよ。貴方の為だけに、俺は今、生きているのです」
「……オレの為って……」
「そうです、政宗様。貴方様の為に…もしかしたら、貴方様の為にはならぬことでも…小十郎が、貴方のお傍に居たいのです」

 そうだ。
 それがどんなに貴方の為にならぬことでも、もう、お傍を離れることなど、出来ない。
 

 出逢ったのだ。
 出逢う事が、出来たのだ。

 気の遠くなる転生の中、もう一度、貴方と、出逢えた。
 漸く貴方と、出逢えた。


 この得難い奇跡を前に、その場所を手放すなんてこと、俺には出来ない。


「…小十郎は、安心する。嘘じゃねぇって…オレに、嘘なんかつかねぇって、ホントに、信じられる」
「ありがとうございます。…お信じ下さい、貴方に嘘などつきません。お約束いたします」

 そう言ったら、途端、政宗様は、俺の身体への拘束を解き、自分の身体を反転させた。
 正面から見据えられる、濁りのない隻眼。
 何もかもを見通せさえするような。

「オレも、小十郎に嘘はつかねぇって、約束する。約束ってのは双方で交わすもんであって、一方的じゃフェアじゃねぇだろ?」

 そう言って、笑う。
 まだ、上気した頬で。
 そして、何故か、潤んでいる瞳で。

 自分で言っておいて、後悔した。
 そんなにも、お信じ下さるな。
 貴方を、抱き締めてしまいたいのだから。
 貴方に触れたくて、身体が、強張っているのだから。

「そうですね。ありがとうございます。…政宗様を、俺はどこまでも、信じますよ」

 昔交わした約束のように。
 貴方を信じると、貴方の道についてゆくと。
 遠い遠い約束は、今もまだ、胸にあるのに。


「…じゃあオレは、小十郎に恥じない男にならなきゃな」


 はにかむように、笑んでくださる。
 何故か、涙を零しながら。
 片方しかない瞳から、ほろり、ほろりと涙を零しながら。


「もう貴方は、小十郎の誇りです。…何を泣かれるのです?」

 今生、初めて出逢った時のように。
 あの、お小さかった時の、あの涙のように、綺麗で、綺麗な。


「何で…だろ。小十郎を見てると、時々、不思議な気分になる。…不安、なのかな。オレの傍に居てくれるって、信じてるけど…不安、なのかな。逢いたかった。傍に居て欲しい。それは嘘じゃねぇのに、何か、不安なんだ。オレを置いて、どっか行っちまうような…」

 ビクリ、と、身体がさらに強張る。
 

 不安。
 不安、という、言葉の正体。


 貴方を置いて、【どこかに】逝ったのは、俺だった。
 
 きっと、その時の。
 
 先に逝った俺。
 看取ってくださった貴方。
 
 そこには、涙は無かった。
 涙も無く、怒りも無く、一切が無く。

 そんな【幸せな】死を迎えた俺を、貴方はどうご覧になったのだろう。
 
 貴方は、泣かれたか。
 俺が居なくなったその後に、こんなに綺麗な涙を、流されたのか。
 
 おそらくは、誰にも知られることも無く。
 
 俺の居なくなった場所を、俺の居なくなった空間を、一人、過ごされた。

 俺が逆の立場だったら、狂っていただろう。

 けれど貴方は、狂うこともせず、いやおそらくは狂うことも、できず。
 それは、貴方の矜持が許さないだろうから。
 

「…政宗様っ…!」

 抱き締めたい。
 その涙を止めたい。
 安心させたい。
 もう大丈夫だからと、安心させたい。

 貴方は大丈夫なのだと、思わせたい。
 そう、信じて欲しい。

「っ…小十郎?」

 思うより早く、抱きしめた身体。
 すっぽりと、俺の腕に収まる。
 細くて、しなやかで、美しい。

 政宗様の体温。
 ああ、俺は、この方のお傍に、居る。

「…小十郎を、信じてくださいますか」
「Ah?…太陽は毎日東から昇るってくらいに信じてるぜ?悪ィな、なんか、泣いたりして…何で泣けた…」
「貴方を」

 この方の隣に居るのは、やはり、俺だ。
 俺以上に、この方を愛する人間など、いるはずが無い。
 喩え、あんなに愛されているご家族ですら、俺よりも、この方を必要とはしていない。

 これは、確信だ。

 俺に政宗様が必要なように。
 俺の存在に、政宗様が欠かせないように。

 政宗様に必要なのも、きっと、俺だ。

「貴方を……心より、お慕いしております……!」
 搾り出した言葉。
 逃がさない、とばかりに、抱き締めた腕。
 そして、溢れる涙は、止まった。
 代わりに、不思議そうに、とても不思議そうに、俺をご覧になっている。

 貴方に、俺は必要なはずだ。
 絡め取った嘘。
 絡め取った心。
 貴方にとって、俺は、必要なのだと。

 その唇から言われて、俺は。


「―――小十郎。それは…Love or like?」


 困惑しきった顔で、そんなことを言われる。
 それは勿論、Loveの方だが、そんな軽い言葉で、俺の気持ちは言い表せねぇ。
 400年を超えた時。
 貴方だけを探した時間。
 貴方だけを求め過ぎて、俺はもう、狂ってしまったのかもしれない。
 
 400年離れた肌が、寂しくて。


「……悪ィ、茶化して。そうだよな、そんなJokeにされたくねぇよな」


 政宗様は、俯いて、一つ、溜め息をつかれる。
 困らせたかったわけじゃねぇ。
 こんな風に、溜め息をつかせたかったわけじゃねぇ。

 なのに。

「…貴方が、…愛おしい……」

 痺れるように、搾り出した、言葉。
 嘘も誤魔化しも無い。
 背中がひやりと冷えていくような気がする。
 
 嘘をつかないことは、こんなにも。
 誤魔化しをしないということは、こんなにも。

 抱き締める腕から、力が抜けない。
 この腕を放したら、貴方はどこかに行ってしまいそうで。
 
 そして、二度と戻ってきてはくれない気がして。


「……そんな顔、するなよ。小十郎。…少なくとも…少なくともオレは、嬉しかったぜ?」

 
 ぺちぺち、と頬を叩かれる。
 目を上げたら、政宗様は、神々しいようなお顔で、微笑んでおられた。
 
 拝みたくなるような、綺麗な笑顔で。

「CuteなLadyでもねぇのに、こんな厳つい顔なのに可愛いな、小十郎。…それほど、オレの事、愛…す、好いてくれてんだろ?」

 少し恥ずかしそうに、目元を染めて。
 可愛らしいのは貴方だ、政宗様。


「ええ。…愛しております、政宗様。この魂の及ぶ限り」

 愛している、という言葉を、言い澱んだ政宗様。
 けれど俺は、それを口にする。
 俺の言葉が、貴方の喜びに繋がるのなら。

 綺麗な、綺麗な政宗様。
 貴方だから、愛するのだ。
 今も昔も無く、時間も空間さえなく。

 貴方だからこそ、俺は、愛するのだ。この魂を懸けて。

「オレは…オレしかねぇ。お前にやれるモンが、オレしかねぇよ、小十郎」
「…政宗様?」

 仰った意味がよく解らず、問い返す。
 どこか自嘲気味な言葉。
 曖昧なのではなく、困惑されているような。

「お前が、オレに全てを賭けてくれるのは解る。そんなに鈍くねぇ。それに…お前の今の言葉の本気も、…オレは、嫌じゃなかった。だけど、お前にどう応えたらいい?小十郎。オレは、このオレしか、持ってねぇよ。オレの為に何もかもを投げ出してくれるお前とは違って、オレは、オレしか持ってねぇ」
「政宗様……」

 何と、有り難いお言葉なのか。
 今ここにこうして居てくださる、それさえもがもう、奇跡のようなことなのに。
 俺のことまで、考えて頂けたとは。

「…では、貴方の存在を。…貴方を、この小十郎に、頂けませんか」

 欲しい、ものは。
 欲しいと、手を伸ばし続けたのは。

 貴方ただ一人。
 貴方の魂、その姿。

 他のものは、もう、何も無くていい。

 この先、何一つ、手にすることが無かったとしても。

「小十郎は、欲深なのです。貴方を…貴方を、頂きたい、など」

 本来なら、許される罪ではない。
 ご家族に愛され、友人にも恵まれ、何一つ憂いの無い人生を過ごされるはずの、政宗様。
 その方を頂きたい、などと。
 とても、許されていい罪ではないのに。

 その言葉を継げることを、お許し頂いた。
 それだけでもう、満足すべきなのに。

「Ha!えらく慎ましやかなんだな、小十郎。オレが欲しいと、お前が望む?I see、望む通りにしたらいい。そんなモンで、欲深とか言ってんじゃねぇよ」

 周りが明るくなるほどの笑顔で、言ってくださった。
 それがどんな意味を持つかなど、おそらくは、お解りでないままに。

「では…目を閉じて頂けますか?政宗様」
「お?Kissすんのか?」
「……政宗様……」

 こんな場面で、茶化さないで頂きたかった。
 俺ががっくりと肩を落としたのが解ったのか、政宗様は、慌てて言った。

「Wait!し、仕方ねぇだろ、初めてなんだから!緊張するくらい許せよ!!」
「初めて…」
「そうだよ、初めてだよ悪ィか!?緊張してんだよ、これでも!見て解れよ!!…っ!」

 そんな可愛らしいことを言っている口を、俺の唇で塞ぐ。
 深く、浅く。
 整った歯牙を舌で辿って、口腔内を弄る。

 初めて触れる、唇。

 それがまるで馴染んだものであったかのように感じるのは、記憶のせいなのか。

「っ…んっ…こじゅうろ…っ」

 ドン、と胸を叩かれて、俺は我に返る。
 夢中で貪った唇が、ほんのりと赤い。

「…慎ましいこと言ってた割に…積極的、だな…」
「それはもう…愛しい、愛しい貴方から、お許しが頂けたのですから……」

 もう一度、唇に口吻けて、それから。
 うっすら涙を滲ませている瞼に、頬に、顎に、口吻ける。

「小十郎…小十郎っ……」
「……大丈夫です、怖いことは、何も致しませんから……」

 掌を絡めて、その指に口吻ける。
 爪の先、指の間、そして掌。
 ああ、この方は、どこもかしこも、愛おしい。


「政宗様…愛しています…」

 言えないでいた言葉。
 言わないでいた言葉。

「う…ん、う…小十郎…」

 小鳥のように震える政宗様の髪を、もう一方の空いた手で、何度も何度も梳く。
 大丈夫ですよと。
 貴方が恐れることは、何もしませんから、と。

「愛しています……」

 口吻けとは、こんなに甘いものだったろうか。
 唇とは、こんなに甘いものだったろうか。

 何度も何度も口吻けると、政宗様は、おずおずと、懸命に応えようとしてきた。
 それがまた、愛しさを一層煽る。

 愛おしい。


 貴方の全てが、愛おしい。


「…さ、もう眠りましょう、政宗様。…貴方が明日、学校に遅刻したら大変です」

 
 愛しさの全てを込めた口吻けを終えて、政宗様を抱き締め直す。
 狂おしくもどかしく、愛しい。
 けれど、急ぐ理由など、もう何処にも無い。
 
 想いは、伝わったのだ。
 
「小十郎…こんだけで、良いのか?」

 何処か安心したような顔をしながら、政宗様は、迫力の無い睨み顔だ。
 この先、のことを、少しは想像していたのだろう。
 それが無いので、拍子抜けしたというのが本当のところか。

 ―――勿論、俺のダイヤモンド並みの理性が、今日は日曜、と思い出させてくれただけで。
 これが土曜で、明日も政宗様も俺も休みなら、簡単に箍は外れただろうが。

「今は。…貴方に、告げなかった筈の想いを告げることが出来ただけで…貴方が、震えてまで俺を受け止めると言ってくださっただけで。そしてこうして、腕の中に居てくださる。今日は、これ以上望んだら罰が当たりそうで、怖い」

 それは本当に、本当のことだ。
 貴方の言葉、行動が、俺の全てを浮遊させる。


「―――今は、って?」
「…そうですね。今日のところは、と言い換えましょうか。…貴方が欲しい。けど、それは貴方に無理を強いてまで、という意味ではありません。貴方が、部活も無く、酒にも酔っておらず、土曜日にお身体を空けて下さったら、これ以上、を望んでしまうでしょうね」

 それを望まなかったら、俺は病気だ。
 愛しい愛しい存在が腕の中に居て、それでも今日は我慢できるんだから、ある意味病気ではあるが。

「それって……それって……」
「…ええ、政宗様のご想像通りでしょうね」

 言ってやると、政宗様の顔は、茹蛸より赤い。
 思春期の危うさで、何を想像しているのか、楽しくはあるが。


「小十郎って…そんな顔して、スケベ…?」
「どんな顔ですか。こんなに愛しい貴方を前にして、スケベでなかったら俺は病気です」
「Nooooo!オレの中の『小十郎』像が崩れそうだ!!」
「崩してください、いくらでも」

 楽しい。
 こんな、他愛もない遣り取りを、俺の腕の中で出来る日が、来ようとは。


「眠りましょう、政宗様。その前に、もう一度、キスを」
「ん…」

 腕の中の愛しい人に、口吻ける。
 想いを込めて。
 願いを込めて。
 愛しさ全てを、込めて。


 愛しい。


 愛おしい。


 きっと、これが輪廻の環を超えた邂逅でなかったとしても、きっと、同じに、愛しい。



 抱き締めた身体が眠りに落ちるまで、俺は飽くことなく、政宗様の横顔を、見ていた。



 至上に愛しい、ひと。


 この気持ちが、嬉しい。


 愛しい、と俺に想わせてくれる、得難い、ひと。


 大切な、ひと。


 愛しい。

 
 愛おしい。


 この想いを、もう、告げても良いのだと、思うと。



 涙が出そうな想いを超えて、俺は、明け方近くまで、眠ることが出来なかった。




 愛しくて。


 ―――愛しくて。
































2014.6.8 初エッチを書こうとして書き始めたんですがあれ…?蛇足的に初エッチ編を次に捻じ込みます!!番外編が続くって…。

 

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