愛を乞うひと

 

 貴方だけの翼

 貴方だけの光輝

 準備されていた貴方だけの月輪


 全ては、おそらく貴方の為に。






 







 確かに、暗いのだ。
 性格は後ろ向き、物言いはナナメ下向き。
  
 
 伊達の頭領にすべく、祭り上げるには、あまりに暗い。


 そう言う一部家臣がいることも、重々、承知していた。
 
 けれど、自分の中にある何かが、そうではない、と叫んでいた。


 今のところの主、梵天丸。


 足りないところは足せばいい。
 届かないものへは手を伸ばせばいい。
 
 たったそれだけのことが、あの、倦んだ子供には、きっと、とても難しい。

 その難しさは理解する。
 
 自分では精一杯のつもりでもまだ足りないこと、届かないことが、あまりに多すぎる。

 そして、それが自分ひとりでどうにかなるものでなければ、それ以上の難しさを、確かに察する。


 その暗い力を、前に進むための力に代える―――ほぼ、絶望的なまでに、暗い道行だ。


 その道案内をする。
 暗い足元を照らしてやる。
 躓く石があるなら、取り除く。


 たった、そんな簡単なことで、あの子供の心の澱は、取り除けるのか?


 毎日剣を合わせる、梵天丸。


 その成長振りは凄まじく、流石は生まれつき神童だと言われていただけのことはある。
 本を紐解かせても、やはりその成長振りは目を見張るばかり。


 それなのに、自分に自信を持って良い筈なのに、あの子供は、倦んでいるのだ。


 ―――母を恋しがる年だ。
 その母が、梵天丸を、まるで悪鬼羅刹のように忌み嫌う。
 
 
 ソレは、『子供』にとって、どれほど絶望的なことなのだろう。

 確かに、母は見たくもない、というほどに梵天丸を遠ざけている。
 受胎時には、不思議な夢を見て、万海上人の生まれ変わりだと、それは喜んだという、母が。
 万海上人の生まれ変わり、でなければ愛せないのか?
 疱瘡を病んだことは、あの子供の、罪なのか?

 疱瘡を病んだくらいで突き放す、その母の方が余程に罪深くはないのか?


「―――小十郎。眉間の皺が増えていますよ」
「ああ、義姉上…」

 
 梵天丸の乳母で、俺の義姉に当たる、喜多。
 彼女の方が、俺の目には、余程『母』に見える。
 

「梵天丸様のことを、考えていたの?」
「まァ…俺なんかがつつける問題じゃねえって気もしてますけどね…」

 正直、八方塞がりだ。
 あの子供が、『生きたい』と思わなければ、あの降り積もる澱も、倦みも、何一つ変わらない。

 『生きたい』と。

 そんな、生物として当たり前のことさえ、あの子供は放棄しようとしているんじゃないか。

「…梵天丸様が、お前を探していましたよ」
「……ぇ、昼寝は……」

 まだ、梵天丸は昼寝をしている時間のはずだった。
 だから俺は、のんびり考え事なんか出来てたわけで。


「お前は、梵天丸様に、どうして優しくして差し上げられないの?」


 ―――どうして。

 ―――どうして。どうして?

「寄ると触ると険悪な雰囲気で。あのお年で、しっかり立っていらっしゃる梵天丸様に、お前は見劣りしますよ」


 厳しいところを衝いて来るのが、義姉の得意技だ。
 
「疱瘡のせいで、梵天丸様を取り巻く雰囲気は変わってしまった。でもお前は、最初から、疱瘡を病んだ後の梵天丸様とお付き合いさせて頂いているはずです。それが、どうしてこんなに体たらくを晒しているのです?」

 確かに、俺は疱瘡云々のことは、最初から知っていた。
 無上のものを、と梵天丸に言いながら、俺自身、何が『無上』で、どこまで行けば『無上』なのか、全く解らないままだ。

 外れ籤だ、と、精一杯の矜持でもって、俺に言った梵天丸。
 自分自身を『外れ』だと言い切る、梵天丸。
 
 そうじゃない。
 喩え両目が有ろうと無かろうと、お前自身は外れじゃない。

 外れじゃない―――そう思いながら、俺はまだ、突破口を見つけられねぇ。

「梵天丸様を、がっかりさせないでね、小十郎。…あの方は、ただお寂しくていらっしゃるだけなのだから」

 寂しい。
 それは、解る。
 けれど、『寂しさ』というのは、そう簡単に他人に埋められるもんじゃねぇ。
 寂しいから傍に居ろ―――あの子供は、死んでも口に出すまい。己の精一杯の矜持にかけて。

 じゃあ、どういう形でなら、傍に居られる?
 
 どういう形でなら、彼の矜持に傷つけることなく、傍に居られる?



「あ、喜多!…と、小十郎か」

 がっかりしたのか、ホッとしたのか。
 声を上げて、梵天丸は駆け寄ってきた。

 寂しい、ただそれだけでは人間は生きていけない。
 寂しさに包まれる限り、人間は、前に進めないのだ。


 好んで暗い場所へ棲もうとする、梵天丸を。
 
 寂しさ、から救い上げるには。


「小十郎。……後で、頼みがある。オレの部屋に来てくれ」

 頼み。
 梵天丸が、俺に、頼み。


 皆目見当がつかないが、応、と答える他はない。

 
 時折見せる、年相応の子供らしさと。

 暗い場所に棲む、いつもの梵天丸と。

 そのどちらもが混ざった顔で、俺に言ってきた。

 一体、どんな無理難題を吹っかけるのか、少々頭の痛い事態ではあった。











「小十郎。……オレの右目を抉れ」

 開口一番。

 あまりな物言いに、頭がついていかない。

「梵天丸…それは…」

 一介の傅役に出来る範囲を超えている。
 医師も呼ばずに、ただ、この目を抉れ、と。
 意志を宿した隻眼で、俺を睨みつけた。

「出来ねぇのか?小十郎も、腰抜けか?」

 嘲った物言いではあったが、哀しさ、のようなものが含まれてさえ、いた。

「すべての元凶は、この右目だ。この、醜悪に飛び出した右目。見えもしねぇなら、取っちまえばいい」

 もう、そうするのだと決めている梵天丸は、いっそ、凛々しくすらあった。
 こんな、幼子、といっても過言で無い子供が。

 身の内に有るものを取り除け、と。

「ホラ。これで、抉ってくれ」

 無造作に投げられた、けれどそれは梵天丸の守り刀。
 それだけで、決意の程が見て取れた。

「………痛むぞ」
「承知だ」

 もう、そうするのだと決めている。
 想像を絶する痛みがあるはずなのに、この子供の中には、おそらくそれ以上の痛みが蓄積されてきたのだ。
 今でもきっと、ふつふつと、降るように蓄積され続けているのだ。

 そうして、もしものことが、この子供の身の上に、起こったら。

 俺は、追い腹を切ろう。

 この透明な覚悟の上に、俺の命など、全く惜しくないことに気付いた。



「……主を手にかけるご無礼、許されよ」



 そうだ、俺こそが解ってなかった。
 この子供は、生まれながらに光輝を携えているのだ。
 それを、愚かにも、見抜けなかっただけで。


「Ha?何だ?その言葉遣い」


 不思議そうな梵天丸の声に、俺は続けた。


「貴方様は、またとない大器。それを、愚かにも、この小十郎が一番、解っておりませなんだ。その大器に手をかけるご無礼、許されよ。…梵天丸様」


 光を携えようとしている。
 大地を踏みしめようとしている。
 

 暗い場所に棲もうとしている梵天丸は、いつの日か、もう消えたのだ。


 ただ、前を向いていこうとしている、唯一無二の主が、目の前にいるばかりだ。


 それを、俺こそが、判って居なかった。


「―――生涯、御身の右目になり、この罪を贖います」



 主の器を見誤った罪。
 主の身体に手をかける罪。
 

 教え続けていたつもりが、教えられた、この、罪。


「どの罪だか知らねぇが…オレの右目になれ、小十郎。古くて腐った右目の代わり、ってのが気の毒だけどな」


 そう言って笑った梵天丸様は、もう、手を引かねば歩けない子供の顔ではなかった。
 それすら見誤った、俺の罪。


「…今に。奥州が、貴方の足元にひれ伏すでしょう」

「Ha!でかく出たな、小十郎」

「いいえ。……よく、ご決心なされました。その強さだけで、もう、貴方は天下をも総べる器となりましょう」

「その手伝いはしろよ?小十郎」

「御意に」



 その言葉を吐いて、放り出された短刀を持った。
 梵天丸様の守り刀。

 どうか、一度だけ、主人を守って欲しい。
 できるだけ痛まぬよう、できるだけ苦しまぬよう。

 受諾する相手の居ない祈りは、どこへ消えるのだろう。


 
「梵天丸様。…御身に何かありし折には、小十郎もお供いたします」


 本当に、腹の底から出た、真摯な言葉だった。
 この主についていくのだと、魂のすべてで、悟ったからだ。
 この主が天下を総べる様を、誰より一番傍で見たい。

 この主が、俺の絶対的な主なのだ。

「右目に、なるんだもんな?小十郎。冥府に行くのはここにある、腐った目玉だけでいい」

 
 まるでこれから楽しい事を始めるような梵天丸様の態度に、目頭が熱くなるのを止められない。


「……御意に。御身の行かれるところ、どこまでもお供致します」


 これで、『寂しさ』は埋まるだろうか。
 失くす右目の代わりに、いつもお傍に居られる俺、に成れるだろうか。
 寂しさを、虚脱感を、味わうことのない、そんな風にして差し上げられるだろうか。


「小十郎」

 急かされて、包帯を取る。
 こんな、いたいけな子供に、辛すぎる過去がもう一つ増えるのでは、ありませんように。

 俺の全力で、この主を助けよう。
 俺の全力で、この主の『寂しさ』を、埋めよう。

 もう、何も怖い事はない場所へ、連れて行って差し上げたい。


「…御意に」



 煌く刃。
 悲痛な表情をしているのは、むしろ、俺だったろう。
 この刀で、主の目を抉る。
 想像しただけで、怖気が立つ。
 
 けれど、それをやらねば、このひとは『寂しさ』から、抜け出せない―――






「―――御免」












 切り捨てたのは、『腐った目玉』なんかじゃなかった。
 切り捨てたのは、俺の弱さだった。
 守ることにも自信を失った、俺の。

 
 泣かなかった梵天丸様の代わりに、俺が泣いた。
 何のための涙だったのか、自分でも解らなかった。

 ただ、泣いた。

 こんな子供が、全てを引き受ける【覚悟】をしていたことにも。

 その【覚悟】すらなかった、俺の不甲斐なさにも。


 泣かなかった梵天丸様は、笑っていた。
 ようやく自由になれたのだといって。
 重かった霧が晴れたようだといって。


 その言葉にも、俺は泣いた。

 そして、心に深く刻んだ。

 ―――俺の一生を、この方に捧げよう、と。
 俺の一生で足りないなら、来世の分まで、この方に捧げよう、と。

 

 俺は、初めて、ひとを愛しい、と思った。












 貴方だけの翼

 貴方だけの光輝

 準備されていた貴方だけの月輪


 全ては、おそらく貴方の為に。

 何もかもが、貴方の為に。

 

 

 

 

 

 

 

2014.07.26 『梵天丸様』と!どうしても小十郎に呼んで欲しかった!!頭の中ではデフォルトです。

 

<戻る>