「喜多の…弟?」
「はい、梵天丸様。不束な義弟ではございますが、梵天丸様の傅役を仰せ付かりました。至らぬところばかりでしょうが、貴方様のお役に立てれば、と」
もう顔も忘れてしまったような『生母』より、喜多の方が、余程オレの母だ。
そう思えるくらい、オレは生母に逢っていない。
―――竺丸が、生まれたから。
オレは、この城では、無用の存在になったのだと、『生母が』オレに無言で教える。
オレが選んだわけじゃねぇ。
オレだって、誰にも後ろ指を指されねぇ、『立派な』跡継ぎになりたかった。
けど、今じゃ、それを信じているのは、この喜多と、多分、父上。
膿んで飽きて、ただ無為に日々を過ごしているオレに、救済措置、とでも言うつもりか。
今度は、喜多の家族まで巻き込んで。
一体、父上は、オレに何を望んでいる?今更。
そう、今更だ。
全くもって今更、『傅役』だと?
しかも、宮司の息子だと言う。
そんな奴、さっさと城から追い出してやる。
オレに着いてたって、良いことなんか無いぜ、と言い切って、追い出してやる。
オレが、オレ自身、一体もう何を信じていいか解らねぇんだから。
オレが、オレ自身の『人生』を、もう信じられねぇんだから。
そして数日、その男は現れた。
「…片倉小十郎だ」
「…名乗りが必要か?」
目と目の間で、火花が散ったように思えた。
こいつも、好きでオレの『傅役』なんかをしたくはない、そんな目。
オレだって、喜多以外にもうオレの人生に巻き込む人間を作りたくはねぇ。
―――つまり、どっちも初顔合わせは最悪だった、ということだ。
「こんな主押し付けられて、迷惑だな、お前も、喜多も」
全く、父上の子煩悩には辟易する。
いくら我が子が可愛くても、それに他人を巻き込むのは、どうにも頂けねぇ。
「早く飽きろよ。そんで、さっさと城から出て行け。オレがお前にやれるものは何もない」
ガキのお守りなんか、三日で飽きる。
コイツは多分、そういう奴だ。
ガキのお守りなんかしてられるか。
目が、そう言ってる。
それなら、話は早い。
「お前が引いたのは、ハズレ籤だ」
せめて竺丸の『傅役』なら、出世栄達もあったろう。
けど、最悪なことに、オレだ。
宮司の息子が若様の傅役。
普通なら、大出世なんだろうけどな。
伊達の家の中―――少なくとも、今の時点では―――では、ハズレ籤以外の何物でもない。
そう思って、オレにしては最大限の親切で、言ってやったら。
「…じゃあ俺が、当たり籤だったら?」
低い声で、唸るように言われた。
―――何言ってんだ?コイツ。
当たり籤?誰にとっての?
もしかして、オレにとっての当たり籤?
そんなもん、存在しねぇ筈だろう?
オレが疱瘡を病んだときから。
オレの指の隙間から、全ての幸運は零れ落ちていった筈なのに。
「梵天丸。お前にとって、俺が当たり籤だったら?」
「これ、小十郎!梵天丸様に何と言う口の利き方を―――」
「良いよ、喜多。いきなり若様と来られちゃ気持ち悪ィ。それより、面白ぇこと言うな、小十郎」
当たり籤―――当たり籤ね。
これはまた、随分自信のあるこって。
子守に自信があるのか?
オレは、見かけは醜くなったが、中身まで壊れちゃいねぇ。
扱い辛いガキだと思うんだがな?
それでも、自信があるとか抜かすのか?
一体何に対しての、自信だ?
「オレは喜多のおかげでここまで身体はでっかくなった」
「梵天丸様、なんて勿体無い仰せを…」
「それはホントだろ?喜多」
「ええ、ええ!御身大きくなられましたことが、喜多の喜びでございます」
「で?これ以上、お前はオレに何が出来るんだ?小十郎」
お前じゃあ、オレの身体をでかくすることは難しいだろう。
身体は放っておいてもでかくなる。
オレは馬鹿じゃねぇ、頭の方だって、時宗丸辺りなんかとは段違いに良い筈だ。
それで、一体お前が、オレに何を出来るって?
「お館様より、剣の指南を、というのがご希望だ」
「はっ。鳥居の奥で踊る剣なんか教えてもらわなくても―――」
「人を出自で見限るな、梵天丸。それを今の世でやれば、鄙者よと誹りを受けよう」
―――中々痛い所を初対面で突いて来るじゃねぇか、コイツ。
確かに、足軽から身を起こした羽柴秀吉だって居るわけだしな。
実力登用主義ってか。
それほど、自分に自信があるのか。
「人を出自で侮るな。出の賎しい者でも、お前の役に立つ人間は必ず、いる」
「それが自分だと?」
「もしもそうだったら、そしてそうなれたら、お互いに、無上のものを手に入れるだろう」
無上のもの――――――
ソレは、何だ?
そんなモン、どこにある?
無上の?
次期当主と父上に決められながら、城の中でたらふく陰口聞かされ続けてる、オレが?
腐るほど、吐くほど陰口叩かれてる、オレが?
「…その台詞、忘れんなよ、小十郎。オレがお前を認めるまで。お前が、オレを認めるまで」
しかし実際、小十郎との『鍛錬』は、面白かった。
どこか手を抜く城の連中とは違って、小十郎は一切手を抜かない。
オレを、本気で鍛え上げようとしている。
オレを、本気で強くしようとしている。
その『本気』は、伝わってくる。
オレを相手にする『本気』。
喜多以外には、無かったことだ。
それが面白くて、本当に久し振りに面白くて、オレは、目を醒ますといつか、小十郎の姿を探すようになった。
悔しいから、本人には言わねぇが。
面白い、と言う感情を、久し振りに思い出した気がするほど。
その日も、オレはふと小十郎を探して、庭に出た。
―――片倉の栄達はここまでよ。
―――あんな主なのだ、家督はおそらく竺丸様だ。
―――あんな当主があってなるものか。
ああ、まただ。
また、暗い言葉を聞いた。
オレを暗くする、どこまでも暗くする、絶望の淵に引きずり込む、言葉を。
梵天丸様、と、表面では気を使いながら、裏ではこんな言葉を交わし続ける、家臣たち。
オレにとっての『家臣』じゃねぇ。
奴らの『主』は今は父上で、オレの話と言えば『伊達の次期頭領』は相応しからぬ、そんな言葉の群れ。
右目を失ったことは、そんなに悪いことなのか?
右目を失ったのは、オレの咎なのか?
ああ、思考が暗く、暗く、沈んでいく。
―――その時。
「何があったって、ウチの筆頭は梵天丸だ!それを貴様らごときが穢してんじゃねぇ、下種が!」
小十郎の叫び。
咆哮といっても良いかも知れない。
そして、大乱闘。
小十郎より身分は上のはずの家臣団を相手に、小十郎は負けていなかった。
と言うよりも、小十郎が一方的に、勝っていた。
胸の澱が、するり、するり、と体の中から抜けていくのを感じる。
ああ、小十郎は、本気で。
本当の、本気で。
自分の栄達の為でも、父上の命だからという理由でもなく。
―――そんな人間を、知らなかった。
オレの周りで、ただひたすらオレを思ってくれるのは。
喜多だけじゃ、無かった。
喜多だけじゃ、無くなった。
「梵天…天翔ける竜と、成れ…」
呟かれた言葉はきっと、独り言で。
ああ、オレは、何を見逃そうとしていたんだろう。
居るじゃないか。
無上のものが。
存在、してるじゃないか。
――――オレにとって、無上の、家臣が。
そう思うと嬉しくて、小十郎の足めがけて走り出した。
小十郎は驚いていたようだったが、知るか。
今すぐに、小十郎を捕まえなきゃならねぇ、そんな気分になったんだ。
ドンッと小十郎の足に身体を預ける。
小十郎は驚いたようだが、知るか。
「どうした?梵天丸」
聞かれても、オレには答えられなかった。
胸に広がった気持ちが、一杯過ぎて。
「小十郎!稽古だ!オレはもっともっと、強くなる!」
多分、それが一番、小十郎に『報いる』ことだったから。
他の言葉を思いつかなかった。
小十郎に支えられて、伊達の後を継ぐ。
それが多分一番、小十郎に報いることだろうと、思ったから。
オレの気持ちが伝わったのか伝わってないのか、小十郎は、少し笑ったような、困ったような、変な顔をした。
笑い方さえヘタクソなオレ達は、もうすぐ『無上のもの』になるだろう。
これを、間違いなく、『無上の絆』にするために。
オレは、この先を間違っちゃならねぇ。
数日後、オレは小十郎を自室に呼んだ。
無上のものと成る為に。
「小十郎。……オレの右目を抉れ」
オレを取り巻く醜悪な出来事の、一番最初の傷を。
こいつになら任せられる。
こいつじゃねぇと、任せられねぇ。
オレは、オレと決別する。
オレを諦めてた、オレ自身と、決別する。
その為に、小十郎の力が必要だった。
「梵天丸…それは…」
言い澱む小十郎に、短刀を放った。
生まれたときに持たされていた、守り刀。
伊達を守るために、今、使う。
「すべての元凶は、この右目だ。この、醜悪に飛び出した右目。見えもしねぇなら、取っちまえばいい」
それを恐れていた幼すぎるオレを、右目ごと抉って欲しかった。
小十郎なら、任せられるから。
小十郎にしか、任せられないから。
「………痛むぞ」
「承知だ」
どんな痛みが来ようとも、耐えられないわけはねぇ。
伊達の嫡男として生まれながら、放り出されている今を思うと、それより怖いことなんか、あるはずがねぇ。
腐った目玉は放り捨てて、オレは、伊達の嫡男らしく生きるんだ。
誰もが認める、伊達の嫡男に、やっとなるんだ。
「……主を手にかけるご無礼、許されよ」
沈痛な面持ちで、小十郎は言った。
突然敬語だから、オレも面食らった。
小十郎の中で、一体何が起きたんだ。
「Ha?何だ?その言葉遣い」
「貴方様は、またとない大器。それを、愚かにも、この小十郎が一番、解っておりませなんだ。その大器に手をかけるご無礼、許されよ。…梵天丸様」
静々と、頭を下げる。
小十郎のこんな姿、初めて見た。
「―――生涯、御身の右目になり、この罪を贖います」
小十郎が…オレの右目。
オレが見えない右側を、小十郎が見てくれるということか?
オレの視界が狭い分、小十郎が目端を利かせるということか?
それって、二体同心、ってことか?
ソレは、『無上のもの』に、限りなく近くないか?
「どの罪だか知らねぇが…オレの右目になれ、小十郎。古くて腐った右目の代わり、ってのが気の毒だけどな」
無上のものに。
お互いが、お互いを、無上のものだと。
そう、認識できるように、成ればいい。
何か、とても楽しい出来事のようだ。
けど、小十郎は、今までに見たことのない、くそ真面目な顔で。
「梵天丸様。…御身に何かありし折には、小十郎もお供いたします」
やっぱりそれって、『無上のもの』じゃないか?
そう思うと、笑えてくる。
頬が綻ぶのが、自分では止められねぇ。
「右目に、なるんだもんな?小十郎。冥府に行くのはここにある、腐った目玉だけでいい」
「……御意に。御身の行かれるところ、どこまでもお供致します」
どこまでも。
どこまでも。
少し前のオレは、こんな言葉、信用しなかっただろう。
けど、信じられる。
小十郎だからこそ、信じられる。
「小十郎」
急かすと、小十郎は、オレの包帯を、丁寧に、丁寧に解いた。
そこには、醜悪な目玉があるはずだったが、小十郎はそんなことに頓着しない。
小十郎が頓着するのは、『オレに』だった。
「―――御免」
熱い、と思った。
痛い、よりも、熱い。
この熱で、オレは、また一つ、小十郎を信用した。
ああ、ここまでさせてもきっとこいつは、オレを裏切るまい。
俺の右目を捧げ持って、小十郎は泣いていた。
一体、何の涙だったのか、よく解らないけれど。
小十郎は、『オレの痛み』を思って、泣いてくれるのだ。
「楽になったぜ。―――自由になった」
小十郎のおかげだとは、照れ臭くて言えなかったが。
その言葉に、もっと、小十郎は、泣いていた。
オレの痛みを想像して泣く小十郎。
オレを奥州の筆頭に伸し上げようとしてくれている小十郎。
オレは、『無上のもの』を手に入れた。
願わくば、小十郎、お前にとっての『無上のもの』が、今、オレであるといい。
弱さも、寂しさも、全部。
切り取ってくれたのは、小十郎、お前だった。
『無上のもの』を手に入れたオレ達は、どこまで行けるんだろうな。
行ける所までついて来いよ、小十郎。
―――お前は、オレの右目なんだから。
2014.07.28 『アオゾラ』〜『愛を乞うひと』の梵様視点でした。梵様がオトナっぽいのは戦国だったらあの年でそのくらいは当然かと。リアル神童だし。…ってことで見逃してください。